元大相撲力士で、のちにプロレスラーや総合格闘家としても活躍された曙太郎さん。
ハワイ出身で、外国人力士として初の横綱となり、当時の角界を大いに盛り上げました。
そんな曙さんが、2024年4月11日、心不全で亡くなったことが分かり、多方面より悲しみの声が上がっています。
曙さんは約7年もの闘病生活を送られていましたが、その最中、曙さんの好敵手として知られる若乃花こと。花田虎上さんが番組の企画でお見舞いに訪れたシーンが話題になっています。
そのシーンを動画でご紹介し、改めて曙・若乃花の当時の対決を振り返ってみたいと思います。
【動画】闘病中の曙太郎を若乃花が見舞うシーン
曙太郎さんは7年程前、福岡で倒れ、一時は心肺停止の危険な状態になり、一命はとりとめたものの、記憶障害などの重い後遺症が残りました。
その後遺症によって、家族の事すら曖昧な状態で、全く生気を失ってしまっていたのです。
そんな中、現役当時、因縁のライバルと言われた若乃花こと、花田虎上さんがお見舞いに行くと、嘘の様に生き生きと…!
全盛期の頃の記憶はこんなにも心を揺さぶるのかと、感動しました…
そしてそれから、また土俵入り復帰を目指して、リハビリに励んでおられたようですが…
やはり、力士は無理な肉体改造などにより、やはり短命になるのは宿命なのでしょうか。
曙太郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
曙太郎さんの死因や闘病生活について詳しくはこちら
【動画】若い頃の曙太郎と若乃花の対決
ここで少し、曙太郎さんと、若乃花こと・花田虎上さんについて簡単にご紹介します。
平成初期に沸き起こった空前の相撲ブームで、象徴的な存在だった「若乃花」「貴乃花」の“若貴”兄弟。
彼らの敵として、“ヒール”の役割を担う事になったのがこの人、彼らと同期入門だった曙太郎という力士でした。
若貴兄弟と曙さんは、この時期の相撲の盛り上がりの、立役者として欠かせない存在だったのです。
そんな当時の曙太郎さんと、若乃花の取り組みのほんの一部をご紹介します。
曙vs若乃花 平成4年五月場所
曙さんが初優勝、大関昇進を決めた取り組みです。
曙vs若乃花 平成5年七月場所
この時、曙さんは若乃花・貴乃花を下し、横綱として初優勝を決めます!
日本全体が注目した伝説的な取り組みとなりました。
曙vs若乃花 平成9年1月場所
この時は、若乃花が曙を下し、優勝に持って行った取り組み。
2人の実力は常に拮抗していたことが分かりますね。
それにしても、どの取り組みも迫力満点です…!
さいごに
闘病中の曙太郎を若乃花が見舞う感動シーンや、当時の因縁の対決もご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
当時はお互いライバルとして敵対することもあったでしょうが、その分切磋琢磨し双方の成長に欠かせない、大切な存在だったと言えるでしょう。
曙さんが闘病中のお見舞いシーンで、その事がよく分かりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。