女優・山本陽子(やまもと・ようこ)さんが、2024年2月20日に81歳で死去されました。
山本さんは高校卒業後、野村證券に3年勤務されていましたが、1963年に知人が山本さんの応募書類を送ったことをきっかけに、第7期日活ニューフェイスとして芸能界入りされました。
清楚系から悪女まで幅広い役柄をカバーし、女優としての地位を確立。
高視聴率女優の1人として長年ご活躍された昭和の大女優でしたが、改めてその品格と妖艶さを兼ね備えた美貌に注目が集まっています。
そんな山本さんの若い頃から晩年までのお姿を、画像で振り返るべくまとめてみました。
【画像】山本陽子の20代
野村證券にお勤めのOLから一転、女優デビューを果たします。
OL時代
野村證券に勤めていた時だそうです。
キュートな笑顔でスマートなスーツを着こなしています。そしてお顔が小さすぎる…
知人の方が日活に書類を送った、という逸話にも納得の美貌です。
デビュー後
デビューして2年ほど経つ頃、20代前半の山本さんです。
かわいらしさが際立っています。
20代後半
20代後半で憧れの赤のポルシェ911を所有し、日本人女性として初めてポルシェに乗る第一号となった山本さん。
お車好きとしても有名でした。
車から出てくるすらりとした長い手足、様になっています…。
「山本海苔店」のCM
「山本陽子さんといえば、山本海苔」というイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。
1967年から専属モデル契約をかわし、「山本海苔の顔」として57年にわたって活動されました。2010年には「専属タレント契約の世界最長記録」としてギネス認定を受けています。
1965年のドラマ『七人の孫』に出演したことがきっかけで、当時山本さんの知名度はまだまだ低かったものの、当時の山本海苔店社長がたまたま同ドラマを見て彼女に目が留まり、起用が決まったそうです。
【画像】山本陽子の30代
30代では『華麗なる一族』や『八墓村』など、代表作となる作品に出演され、女優としての地位を確立されました。
『八墓村』での山本さん
きりっとした和服姿は、日本的で清楚な美しさが際立ちます。
都会的な魅力も
より洗練され、大人の魅力が漂う山本さん。
愛車と一緒に
30代の頃に初めて買ったジャガーをとても気に入り、3台ほど乗り継いだおられたそうです。
愛車との撮影、あまりにもきまっています。
【画像】山本陽子の40代
「よく働き、よく恋愛もしてよく遊んだ」と言う40代の頃。
代表作の松本清張『黒革の手帖』で主演を務められたのもこの頃で、精力的に様々な作品に出演されています。
色香あふれる着物姿
楚々とした雰囲気ながら、漂う色香が隠せないお着物姿。
「よく恋愛もした」という事ですが、これはさぞモテたことでしょう…。
ゴルフを楽しむ山本さん
お忙しい時期でしたが、合間にゴルフや乗馬などの趣味もめいいっぱい楽しまれていたそうです。
そのバイタリティーあふれる、エネルギッシュな姿も魅力的ですね。
【画像】山本陽子の50代
付き馬屋おえん事件帳
連続テレビ時代劇『』では、シリーズ3作品で主演を務められました。
裏の顔を持つ謎多き女の役が実に似合います…
【画像】山本陽子の60代
浜名湖にて
リゾートな雰囲気でポーズをとる山本さん。
カジュアルで華やかな装いもお似合いです。
【画像】山本陽子の70代
70歳を機に、おひとりで東京から静岡・熱海に移住されていますが、そこでも健康に気を遣いつつ、趣味に遊びに、充実した生活を送っておられたようです。
デニム姿の山本さん
冬はブーツですが、普段は7cmヒールを履き、大好きなデニムもずっと穿き続けていたという山本さん。
高価なジュエリーを纏うのは好きでなく、20代で購入したジョージ ジェンセンのシルバーのネックレスを重ねて、アルマーニのレザージャケットをサラリと羽織ったという姿は「かっこいい!」の一言。
とても80歳目前とは思えません。
凛とした着物姿
長年まとわれているお着物姿は、あまりにも自然体で様になっています。
凛として、美しいですね。
【画像】山本陽子の80代
81歳で亡くなられる直前に放送された『徹子の部屋』に、高橋英樹さんと出演されたときの山本さん。
変わらず美しく、お元気そうな様子でした。
山本陽子さんの死因や、生前の生活についてはこちらもどうぞ
さいごに
山本陽子さんの若い頃を中心に、美しい画像を年齢別にまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。
若い頃はもちろん、晩年まで年を経る毎にその時その時の美しさをまとい、最後までかっこいい生き様を見せる方でしたね。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。